呼吸と身体とエトセトラ

ことこと家ヨガスタジオ(涌谷/富谷)

日常に寄り添うバガヴァッド・ギーター(10/29)

先日の、日常に寄り添うバガヴァッド・ギーター。
久々のヨギーニー先生のギーター。
文字で読むとなんだか堅苦しいけど、聴き終わった後はみんなの顔が柔らかくなる。
そこには愛情が流れているから。
 
・・・・・・・
 
周りの人と言い争いが絶えなかったり、あれがないこれもできないとないない探しになっていたり、嫉妬深くなっていたり、どうせ自分なんか、、とネガティブループにはまって心が苦しくなる時はありませんか?

そんな時は大きな愛(精神性)からはぐれている時。
エゴが強くなって、私が正しい、私が満たされたい、私が、私が….と意識が狭くなっている時、私たちは大きな愛からはぐれていってしまう....。
エゴが強くなると自分の感覚的満足(五感の満足)を満たすことが本当の幸せだと勘違いしてしまう。
でも感覚的満足は長くは続かないし、もっとあれが欲しいこれが欲しいという欲望を助長させていくから、結果として苦しみがやってくる。

ギーターでは生命体の本質は 仕えること と伝えてくれています。
親は子供に仕え、夫は妻に仕え、妻は夫に仕え、また社会は仕え合うことで成り立っている。
仕えるというと堅苦しいけど、要するに相手に喜んでもらう。喜んでもらえると嬉しいし、もっと喜んで欲しくなる。

ここには愛の交換があります。見返りのない純粋な愛。純粋な愛の交換は私たちの心を真に満たし、喜びが溢れ、なくなることがない。
これこそが本当の幸せであり、精神性に生きるということ。
喜びに満ちている人は、ネガティブに入らない。というより、入れない。
なぜなら必要なものは全て与えられていると知っているし(この時点で愛を受け取っている)、今ここに生きているということ自体がポジティブの証だから。
だけれども、この世界は目に見える物質的性質が強いので、エゴがあるのは当たり前。
でももし今何か苦しみを抱えているのなら、ネガティブに陥っているのなら、それは精神性から離れてしまっているから、その精神性を取り戻しましょう、とギーターでは伝えてくれています。

例えば。
部屋中ゴミに溢れたゴミ屋敷があったとする。
その部屋に美しい一輪の薔薇を誰かが持って来てくれた。
もはや飾る場所もなくゴミの中にまみれてしまう。
次の日家に帰ったらもはやどこにバラがあるのかすらわからない。
ゴミはエゴ、感覚的満足を追い求める気持ち。一輪の薔薇は精神性。愛。
心がエゴで汚れていれば、精神性はいとも簡単に見失ってしまう。
だからギーターでは、精神性、愛を見失わないために、普段から心を綺麗にしておきましょうね、と伝えてくれています。
心は私たちが普段 聴いてること、見ているものなど五感の対象によってつくられます。
五感の対象がネガティブなものであればその様になっていくし、ポジティブなものであればそのようになっていきます。
意識を何に繋げておくかがとても大切。
アーサナの練習で言えば呼吸。
呼吸は肉体の構成するものの中で最高峰のもの。最も精神性が高いもの。
だからレッスンでは呼吸と繋がって動いていくことをとても大切にしています。
自分のエゴと繋がって動けば(このアーサナできて私すごい、とか)、エゴを増長するだけ。
感情や心ではなく、呼吸と繋がって動いていくことで意識が澄んでいき、レッスンが終わった後は心が満たされ、自然と優しい気持ちになっていたり、ネガティブがなくなっていく。
精神性(魂)と物質(身体)と心・知性・エゴ(幽体)で成り立っている生命体。
感覚的満足を満たせば、エゴに魂は縛られ、魂が震える喜び(純粋な愛)はエゴを落としてくれる。
 
選択はいつも与えられています。
 
どちらを選ぶかは自分次第です。
 
🌼次回は11/28(日) 14:00~15:30 です。
心温まる優しい時間。 ご興味ございましたらお気軽にお越しください。
オンライン参加も受け付けています。
問合せ・申込 kotoyoga888@gmail.com
 
 
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