呼吸と身体とエトセトラ

ことこと家ヨガスタジオ(涌谷/富谷)

日常に寄り添うバガヴァッド・ギーター(3/5)

⌘3/5の回のギーターのレポート⌘

前回はこちら。(新型コロナの影響で暫く間が開きました)

kotoyoga.hatenadiary.jp


今回はカルマにまつわる諸々のお話です。

バガヴァッド・ギーターでは、私たちの本質は魂(精神性)であり、この肉体(物質)ではないよと教えてくれています。
意識は魂の兆候であり、魂は身体にあまねく充満している。
(シャバアーサナの時、身体は休んでいるけれど意識はクリアになっている。私たちが自分の呼吸を観察したり、自分自信を観察しているのは意識です。何かに、はっ!と気づくのも意識がそこに届くことによって初めて気がつくことができます)

肉体(物質)はトリグナ(物質自然の三つの性質)とカルマの影響下にあり、輪廻転生のループに入りますが、
魂(精神性)はトリグナとカルマの影響は受けず、もうこの物質世界には生まれてきませんよと。
【トリグナ】→
∞サットヴァ(徳性) 純粋な質 感情や思い込みに左右されず、物事をありのままに見れる 
∞ラジャス(激性) 活発な質 利益追求 自己中心的 競争心 感情的 
∞タマス(無知性) 重くて鈍い質 間違って物事を見る 思い込み強い 混乱している

私たちが生まれ持った性質、何に惹かれるのかなどの好みはグナによって決められていると言います。
そのグナに導かれ、過去のカルマによって今、ここに在る。カルマの解消をしに今世生まれてきていると。
なので、今置かれている環境の中での役割(義務)を、愛情を持って行うことはカルマの解消に繋がるし、
役割を果たさず、エゴを満たす行為を選べばそれは新たなカルマとなっていく。

また、悩みや問題があるのは、行動の結果を自分の思う通りになってほしいと追い求めている結果。
何かしらの行動の結果をコントロールできるほど、私たちは力を持っていない。
(周知の事実ですが、天気をコントロールできないし、他人をコントロールできないし、そもそもコントロールしようという考え自体がエゴ)。
この世界の出来事は様々な運の巡り合わせで、他者の人生との関わり合いの中で、現象が起こっては消えていくだけのこと。
そこに抗わない。

そして行動を捧げる(結果を追い求めない)こと。誰かのため、愛する人のため、見返りを求めていない行動は純粋な行為。

問題と思えることがあっても、その中で純粋性を見出して、役割を務めることで結果として精神性が高まっていく。
そう、社会で生きていくということは、精神性を高めることとイコール。
決して、頭でっかちにならないように。頭=マインド=エゴ と ハートは違うから。
ハートがふるえる喜びは純粋性が高く、そのような喜びがあるところにネガティヴはやってこない。
そして頭でっかちになって精神性が枯渇すると心がすさみ、喜びや愛情がない状態になってしまう。

喜びと愛情の意識から離れ、自分のために、自分の喜びのための行動はカルマとなって反動がくる。
全ての現象の中に愛情と優しさを見て行為を行えばアカルマ(カルマの反動を生まない)となる。
どのような意識をそれを行なっているのかが大切。
全て目に見えるものがあるのは当たり前ではなく、生かされていて行動できている。

そして、この人生で必要なものは全てやってくるから、必要以上に欲しなくても良いし、あるもので満足できる。
なるようになるし、どうにかなって今こうして生きている。まずはその事に感謝する事。
そうすると心が平安になり、喜びや愛情が戻ってくる。

愛情を増やすのか、エゴを満たすのか。全てはここに戻ってくる。
でも、エゴはなかなか手強い。やっぱり自分が満たされたいと望んでしまう。
だから、常にエゴではなく、愛情と繋がろうとすることを忘れずに、思い出すことが大切。
そして喜びが増えるプロセスを増やしていけば、自然とエゴは小さくっていく。

そして自分の中に思うことを否定しないこと。否定すると愛が無くなってしまうから。
自己否定は大切なものが枯渇していってしまうから。

そしてこれらの事はアーサナの練習の中でも見出せます。
アーサナでは呼吸が純粋性高く、精神的なもの。だから呼吸と常に繋がることで、ヨガのあとスッキリ!する。
呼吸ではなく、自分の考えや感情(エゴ)と繋がって動いていると、終わった後にすっきりしない。
呼吸と繋がって動くのか、エゴと繋がって動くのか。
呼吸と繋がる練習を、精神性から離れない練習をアーサナではしているのです。

 

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ご参加ありがとうございました♡