ヨガではアーサナ(ポーズ)の数が何百とあります。
本来は Asana は瞑想で坐る時の姿勢、坐法のことを指し、片手か両手で数えられるぐらいしかなかったと言われています。そしてヨーガの経典ヨーガ・スートラでは、アーサナは快適で安定したものであるべきである、と述べられています。
そう、快適で安定していれば自ずとリラックスし、深い瞑想に入っていく。
それが時を経るに連れ、どんどんと数が増えていき....今や何百という種類のアーサナがあるのです。
中には、それどうやってやったらできるの??と言ったような、アクロバティックなアーサナや、めちゃめちゃ体が柔らかくないとできないよねー、というアーサナも沢山あります。そういうのを見ると、うーーん、私には無理かな.....と遠い目になりがちです。
アーサナは一つの指標であって、それができるようになる事が目的ではありません。
そのアーサナができるようになるために、練習を重ねていく中で、自分の身体に対する気づきがあったり、身体の中に生まれてくる感覚を体験したり、柔軟性や筋力がUPしたり、呼吸が深まったり、深くリラックスしたり、、とその過程の経験が自分の糧となるのです。
山登りで例えると、頂上がゴールなのだけど、そのゴールに向かう途中での美しい景色に感動したり、身体を使っている充足感を感じたり、途中で飲んだ水がめっちゃ体に染み渡る感覚を味わったり、そのゴールまでの体験が実に彩りをもたらしてくれています。
そんな感じです。
それらの体験は自分の体に対する体験を通した知識として蓄積され、日常生活の中で自分の身体やマインドのメンテ、ケアに役立っていきます。肩こりや腰痛改善だって、自分でできます。セルフケアです。
その対象の事を知らないと、ケアやメンテってできなくないですか?
例えば猫がいたとして、猫の習性や特質を知らないで適切なケアできます?
何か新しい家電を買ったとして、取説を見る事で適切に扱えたりしますよね。
ある意味ヨガは自分の身体や存在の取説と言っても過言ではない。
もちろん、ヨガに限らず、ピラティスとかその他のボディワークも同じだと思います。
ただ、ヨガはインドで発祥し、仏教とも源流を同じとする教え(経典)があるというのが特異な点ではありますが。
おもしろいですよ、ヨガ ☺︎☺︎☺︎