呼吸と身体とエトセトラ

ことこと家ヨガスタジオ(涌谷/富谷)

新たな呼吸の学び。つづき。

新たな呼吸の学びを始めて早2ヶ月。
ただまだ本学習ではなく、事前の早期学習段階です(6月からの本学習の前の予習的な)。

kotoyoga.hatenadiary.jp

早期学習は過去の授業や講座の録画を見て学びを始めます。まだリアル授業はないですが、なんと月に一度個別の、パーソナルのセッションがあるのです。

ここ大切なところです。

個々に応じたアドバイスや何がしかのアクションがもらえるのです。
質問に対する一般的な答え、ではなく、課題を実践してみて何を感じたか、わからないところなどをお伝えし言葉をやりとりしていく中で、こちらが何を感じ考えているのか、どこまで理解が進んでいるのか、迷っているとしたらどのあたりなのかを恐らくは察知され、その個々の状況に応じてサジェッションをくださいます。

現時点で2回セッション終了してます。

課題を実践する中での疑問やはたしてあっているのかなどのもやもやも消化または昇華され、また新たな視点も頂き、とても楽しい時間でもあります。

そしてこの2ヶ月でこれまでに体験したことのない感覚の世界を味わっておりました。
これまでにない呼吸の感覚、緩み、深み、静けさ。

頑張らない、衝突のない世界。

流れに委ねるように在る世界。

まるで抽象的な表現ですが、呼吸が変わるだけで(正確にいうと呼吸をする身体の状態が少し変化している)、味わう感覚がこれほどまでに違うものか、同じ動きをしてもこれほどまでに感覚が違うものかと、同時進行している二つの違う世界を行き来するような不思議な感覚で過ごしていたのでした。

この不思議さをなんと表現すればいいのか、その言葉がしばらく見つからなかったのですが、ある時

「!! 狐につままれたようだ!」

という言葉がフッとわいてきました。

狐につままれたような事は滅多にないので貴重な体験です。

この体験を通して私の中である意味リセット、もしくはリスタートが起きているようです。もしくは本来あったところに戻されたとも言えなくもないような。

そして今感じていることは、私たちは思っている以上に”生命(生き物)”であり、身体は思っている以上に奥深く、私という存在は思っている以上におもしろいということ。(ここの"私"はみんなにも当てはまる)

あまり上手く言い表せない部分もありますが、そんなところです。
(もう少し学びが進むにつれて、もう少し具体的にお伝えできることと思います)

あと、自分が感じる違和感はやはり大切な内側からのシグナルだということ。

いろいろとおもしろいです。

 

この新たな学びに関しては、すぐにレッスンで提供できるというものではなく(まだ私も学び始めの初め)、レッスンで何か新しい事を取り入れるということは当面はないのですが、私がレッスンで表現する言葉がこれまでと変わったり、またこれまでとは180度近く違う事を言い出すかもしれません。

その時は、先生も歳だなw ではなく、新たな学びの影響だと受け取って頂ければ幸いです。

 

かわいいキツネ。

 

ある日のパーソナル。

ずっとヨガをしてみたかったけど、なかなか一歩が踏み出せなかったというHさん。
いきなりグループレッスンは心配ということでパーソナルを申し込んでくださいました。

デスクワークで身体全体を動かすことはほとんどないということで、まずは骨盤、背骨を動かしていく地味な動きから練習しました。
そして身体全体のバランスの中でお休みしているであろうところに刺激を入れる動きを取り入れ身体を起こしていきながら、一つずつ丁寧に動きを見ていきます。
(レッスンではアーサナ だけでなく、普通のエクササイズだったり、ピラティスの動きだったり、ただゴロゴロ転がったりなどその方、その時に必要だなと思った動きを取り入れていきます。)

そして。

次は....となったときに、彼女の呼吸のリズムが早く、深いところまで入っていなかったので(呼吸が浅い)、呼吸にアプローチすることに。

 

まず今の自分の呼吸を感じてもらう。


どこが呼吸で動いているのか。


どんな感覚があるのか。

 

そこからワーク。背中の緊張を緩め、横隔膜(腹部)を活性するワークを取り入れる。

そして改めて呼吸を感じてもらう。

呼吸がさっきよりも深いところまで入り(腹部がゆったりと動き始め)、リズムもゆったりとしてきた。

見ているこちらもほっと安心するほど。

 

そんな彼女の感想です。
(口頭で頂いた感想を要約しています)


《お腹が動く呼吸をしてから、自分の呼吸がハカハカしてたことに気づいた。
深い呼吸は酸素が身体中を巡る感じがする。濃い。
よく今まで浅くうっすい呼吸で生きていたなと感じた。
お腹が温かい》

呼吸を濃い薄いで表現する人は初めてだったので新鮮でした。
うっすい、って言ってました。笑

あと他に、


《今まで手足を動かすことが運動だと思ってた。胴体を動かすなんて考えてもなかった》

胴体は骨盤と背骨、そしてお腹とか胴体の内側のことだそうです。

これは常々感じるのですが、見た目で動きが大きいところ(手足)に意識が行きやすく、外側を動かすことを運動と捉えがちな傾向があると。

むしろ胴体(内臓含む)の状態が大切(インナーユニットとか呼吸とか)であって、そこがちゃんと働いているからこそ体全体の繋がりが生まれ安定して手足も動けるし、呼吸は生理機能や神経系にも大きく影響していくのに、と。

でもこれは自分で身体を動かさないと実感できないところでもあります。
頭では理解できないところ。

レッスン後に、思い切って申し込んで良かったですと言って頂けたので良かったです。

 

〜余談〜

初めてレッスンにお越しくださった方に記入して頂く受講受付書があるのですが、そこには

「ヨガにどのような事をお望みですか?」の質問と、
リラックス 柔軟性 ダイエット 精神の安定 瞑想 呼吸を深める 健康増進

にチェックを入れて頂く項目があります。

リラックスや精神の安定、瞑想にチェックがあるけど、呼吸を深める、にはチェックがないということも多々あり、その都度、呼吸かわいそう....と少し悲しくなるのでした。
(なぜならリラックスや精神の安定には呼吸の深まりは欠かせない。むしろ必須条件なのに気に留めてもらえない...)

レッスンを受けてくれた彼女も同様でしたが、きっと呼吸への意識が変わっていることと思うと呼吸も報われたかな、と少し嬉しくなるのでした。(ま、呼吸は報われるとか考えてませんが)

 

みんな呼吸している.....

 

Yoga 八支則

普段レッスンで身体を動かしているアーサナの練習はヨガの中のほんの一部です。
では他にはどんな要素があるの? という事で、ヨガで教えてくれている八支則をご紹介したいを思います。

下の八つを実践する事で心・身体・精神が調和し、安定した自己を育み、より充実した生を送ることができますよと伝えてくれています。

 

ヨガの八支則

①ヤマ(日常生活でしてはいけないこと)
・非暴力、他者も自分も傷つけない。物質的にも言葉、思考も。
・嘘をつかない。心と思考と行動の一致。
・盗まない。他人の物、時間、信頼、利益など。
・性欲に溺れない。エネルギーの無駄使いをしない。
・貪欲にならない。必要以上に貪らない。

②ニヤマ(日常生活で実践すること)
・清浄。身体と心と環境を清潔に保つ。
・足るを知る。今あること・ものに満足している。
・修行。困難なことに対して熱心に励む。
聖典を読む。真理を知り、智慧を育む。
・大いなるものへの信仰の心を持ち、身を委ねる。

アーサナ(坐法。身体の鍛錬と自然との調和)
身体を動かし呼吸と共に意識を身体の隅々ま送り届けることで、心身が調和されていく。身体の安定が高まる事で心の安定も育まれる。

④プラーナヤーマ(呼吸法、調気法)
プラーナは生命エネルギーのこと、アーヤーマは拡張という意味。呼吸を苦しくなくコントロールすることで、体内の見えないエネルギーを調整し拡張していく。呼吸が安定して落ち着いたものであれば、神経が鎮まり心が穏やかになる。

⑤プラティヤハーラ(感覚の制御)
外側に向いている五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を内側へと向け、内側の感覚を繊細に感じ取り、内的感覚を高める。感覚が外的対象に囚われることで、欲望が掻き立てられ、感情が揺れ動き、心の平穏が乱される。心を外的対象から開放する。

⑥ダーラナ(集中、集中統一に努力する)
意識を特定の対象物に完全に集中すること。

⑦ディヤーナ(瞑想、集中が持続している状態)
ダーラナが自然と深まり、集中力が高まり心が安定し無心になる。心は開放、静けさ、平安に満たされる。自と他の区別がない意識の状態。

⑧サマーディ(三昧、悟りの境地)
瞑想が深まり、瞑想の対象物である宇宙の精神(神)と一体になる。至高の調和。


ヤマ・ニヤマ・アーサナのなかで

ヤマ・ニヤマは日常生活で心がけることで、自身の内面を整え、他者との調和を育みます。ここが疎かになるとアーサナにも影響してきます。
内面が乱れまくっていれば体を丁寧に扱うこともができません。またアーサナの中でより強さを求めたり、より柔軟性を求めたり、他者との比較での優劣に走ったりと、本来のアーサナの目的から外れてしまいがちです。

とはいえ、完全にヤマ・ニヤマを実践できなければアーサナしちゃいけないのかといえばそんなことはなく(そんなこと言っていたら永遠にアーサナの練習できない)、アーサナの練習を通してヤマ・ニヤマが自然と行えたり、より深まったりすることもあります。

例えば、他の人よりもっと柔らかくなりたいと必要以上の欲を持ち、必要以上に伸ばし怪我をしたとします。そこで何に気がつくか。必要以上に求めたことで自分を傷つけてしまった。
ヤマにある「必要以上に貪らない」が腑に落ちて、結果自分を傷つけてしまうことが起きる、ということを学ぶかもしれません。何かを必要以上に貪ることで場合によっては他の人を傷つけてしまうことも予想されます。

またアーサナは身体と心をクリアに保つための行いでもあります。
身体を動かしてその心地よさを実感することで②のニヤマの清浄が苦なく喜んで行えるかもしれません。
また身体を動かすことは身体という自然の摂理に触れていく事でもあります。身体や呼吸を通して自分の中に在る素晴らしい自然の働きを感じ、存在への畏敬の思いが育まれることで自分も他者も大切にできることもあります。
また呼吸や重力に身を委ねることで体が楽になったり、心が緩んだする体験を通して②ニヤマの大いなる流れに身を委ねる(エゴを手放す)という練習になるかもしれません。

 

長くなりましたので、続きは次回にしたいと思います。

 

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パールシュヴォッターナーサナ
アーサナの練習に(何かに)日々熱心に取り組むことで、その過程で受け取れる恩恵がたくさんあるのです。そしてその恩恵が足るを知るという精神を育んでくれます。
(忘れてしまうことも多々あるけど)