引越しして早1ヶ月。
やっと落ち着きつつあり、引越しの余韻が徐々に薄れ始めている今日この頃。
(でもまだ結構ある)
引越しして感じたのは、
・毎朝のルーティンの大切さ
・身体が慣れるということ のふたつ。
ルーティンは何か特別なことをする、ではなく、朝起きて掃除して猫に餌をあげて....といった仕事を始めるまでの家事的なごくごく普通のこと。
でも家が変われば広さも時間も動線も変わり、前の家での流れがこの家だとうまくいかず(そりゃそうだ)、限られた朝の時間の中でこの家ならではのスムーズな流れ...というのがなかなか定まらず。
そうすると、あっち行ったりこっち行ったりとか、あれやるの忘れてた、とか、もう時間だ! となり慌ただしい。
ルーティンになってしまえば、段取りを考えずに流れにのって身体が自然と動いていく。そしてやっていることに無心で集中できる。そこまでいくと作業が朝の瞑想のような時間になる。(無心とは、邪念がない、とか心の働きが無いなど)
っていうのはちょっと美しく書きすぎたけど、でもやっぱりルーティンは何も考えずに動けるからこそのルーティンであって、そこ重要だなぁとしみじみと感じ入る。
やっぱり人って頭であれこれ考えると落ち着かなくなるのよね..
身体を動かしていてもあれこれ考えてなければ、わりあい落ち着きが感じられるもの。
早くルーティンを定着させて朝の瞑想タイムといきたいものです。
そして。
身体がその場所や空間になれるのは時間がかかる。
家の中だけでなく、家までの道順とか町の雰囲気、どこにどのスーパーがあるとか。
環境にもルーティンがある。保育園のお迎えのバスが道る時間、子供達が学校に向かう時間とか。だんだんそういったものが自分の中に馴染んでくると、この土地での日常感が湧いてくるんだなぁ、ということをしみじみと感じている。
身体に馴染んできて安心感とか落ち着きに繋がって"引っ越したんだ"という事すらやっと思い出さなくなった時に、普通の日常生活になるのだろうなぁと。
新しい習慣が身体に馴染むまでは2~3ヶ月はかかると言われている。
馴染めばそれが普通になる。
そう考えると身体というのはコスパとかタイパとはほど遠い存在なのである。
朝陽を拝むのもルーティンのひとつ。
ありがたや。